年末に、久々に紅白歌合戦を見た。
かつてのアイドルなどが、活躍していた当時の歌を歌うというので、興味が湧いたのが、その理由である。

懐かしい歌を聴けたのは良かったが、当時アイドルだった歌手や若手のバンドグループが老齢の域に近づき或いは達して、その発声の音域が明らかに低下している現実をまざまざと見せつけられた。特に女性の歌手に、その傾向が顕著に表れていた。男性のほうは、声の張り具合や声量などに衰えを感じたが、比較的昔の音域に近い傾向があったように思う。この違いはどこから来るのだろうか?

加齢により、特に高音域の歌唱が難しくなる傾向はあるが、実は可聴域も低下する。人の可聴域は、20Hz ~20kHz と言われるが、還暦を過ぎて数年の筆者の場合はせいぜい 40Hz ~ 7.7kHz 32Hz ~ 8.0kHz である。イヤホンで音楽を聴くことが多かったせいか、耳鳴りがひどく、そのため筆者の場合は特に衰えの度合いが大きいかもしれない。ブックシェルフのスピーカーは、再生可能周波数の低域側が 40Hz 台であることが多いと思われるが、筆者のような聴力が低下しつつある者にとっては、それで十分なのかと思ったりもする。

標準的な 88 鍵のピアノは、A0 から C8 の、およそ 27.5 ~ 4186Hz の音を出す。筆者の場合は、ピアノの高音域は聞こえるが、低音域の一部は聞こえないということになる。微かな雑音としては聞こえるかもしれないが、楽音としての認識は出来ないであろう。それでも、まだバスからソプラノまでの声楽の音域は聞こえるし、比較的多くの楽器の音域はカバーしているので、ありがたいことである。

オーディオ評論家の中には、お年を召された方もいらっしゃるが、そういう方の可聴域はどうなのだろうか。オーディオの世界では、高音が煌びやかだとか、低音が締まっているとか、よく語られるのだが、そして筆者も、機材の交換で前後の音質の変化を綴ることがあるのだが、一歩退いて見れば、これらは飽くまで主観の域を出ないものである。しかも厄介なのは、オーディオ機材の音は生音ではなく、それら機材の開発者の主観による再生音、つまり作られた音に過ぎないということである。それを出来るだけ生音を聞いた時の感覚に近づくように、オーディオファイルと呼ばれる人々は腐心して、大型のスピーカーや重いアンプを揃え、ケーブルや電源に投資し、部屋の音響効果にも気を配る。

生音が聞きたければ、コンサートやライブなどに行けばよい。迫力はオーディオルームで聞く作られた音の何倍も違うだろう。ただ、コンサートやライブに行って生の音を聞いても、楽器音は生音が聞こえるかもしれないが、ボーカルはマイクとアンプとスピーカーを通した音で聞くことも多い。人間の声量には限りがあり、生の声は楽器音でかき消されてしまう。だから、ポップスやロックの会場で聞くボーカルは、作られた音である。また、アコギも同様で、ピックアップなどで拾った音を増幅していることが多いので、その場合は生音ではなく作られた音になる。

オーディオ機材によって、生音に近いと感じる再生音を追求することは、人それぞれにとって意味のあることなのだろう。臨場感というものは、オーディオで音楽再生する際の一つの大きな要素である。ただ、飽くまで主観によるものであるし、加齢により聴力が衰え、生音に近いと思っても一部の音は聞こえていないということもあり得る。だから、あまり拘らずに、自分にとって心地良い音であれば、それでいいのではないかとも思う次第である。


以上


追記 2026.01.10
筆者の現在の可聴域について、上記のように記載を訂正した。
低域側は、29Hzくらいまでは音として感じられるが、音階として認識できるかというと心許ない状況。高域側は、両耳センターで 8.0kHz くらい、左寄りで8.5kHz くらいまで認識できる。